横浜FC

6月21日、ポルトガル2部・UDオリヴェイレンセからの新戦力第2弾として、横浜FCに加入したジョアンパウロ。

 

 

リリースが発表されたのは、リーグ戦もちょうど折り返しのタイミング。

 

 

 

遅れてやってきた新たなブラジル人FWとは一体何者なのか──。

 

 

 

そのベールを脱いだのは、8月3日のジェフユナイテッド千葉戦。

 

 

途中出場でピッチに立ったジョアンパウロ は、90+2分、ペナルティエリアの深い位置からマイナスのクロスを送り、伊藤翔の逆転ゴールをアシスト。

 

 

重要な一戦で、鮮烈なJリーグデビューを飾った。

 

 

「まだまだ、手探り状態のところも多いです。さらに仲間の選手と関係性を深められれば、もっといいプレーができるはず」

 

 

底知れぬポテンシャルを秘めるアタッカーが、“2つの目標達成”への鍵を握る。

 

 

目標達成へのラストピース

ジョアン パウロ FW 78

取材・文=北健一郎、青木ひかる

往復4時間で掴んだプロへの道

ジョアンパウロは、どんなキャリアを歩み日本にやってきたのか。

 

 

生まれは、ブラジル・サンパウロ州。

 

 

「シティーボーイだった?」と問いかけると、ジョアンパウロは笑いながら首を横にふる。

 

 

「僕が生まれたのは、サンパウロ州のチエテという町です。すごく小さな町で、みんながイメージするサンパウロ市からは、車でだいたい2時間くらい。大きいビルはなく緑に囲まれた田舎です」

 

 

サッカー大国のブラジルといえども、チエテ出身で全国リーグまで登り詰めたプロサッカー選手は少なく、ジョアンパウロはいわば“地元のヒーロー”。

 

 

故郷の人々はみな、ジョアンパウロが活躍するニュースをいつも心待ちにしてくれているそうだ。

 

 

そんなジョアンパウロのプロへの道が開けたのは、小学1年生に進学して間もなくのこと。ブラジルの名門クラブ・サンパウロFCが地元でセレクションを開催し、短期合宿への参加が認められたことが、人生の大きな転機となった。

 

 

「自分の父もプロのサッカー選手だったので、もちろん憧れはありましたが心のどこかで現実的ではないと思っていました。でも、200人が参加したセレクションで合格したのは自分だけ。すごくうれしかったし、こんなチャンスを逃すわけにいかないぞ、と。」

 

 

4日間と15日間の2回の合宿を経て「テスト生」として認められたジョアンパウロは、地元からサンパウロまで往復4時間かけて、サンパウロFCの練習場に約3年間通い続けた。

 

 

その努力が認められ、正式にユースチームに合格。

 

 

親元を離れて寮に入り、サッカー漬けの毎日が始まった。

手にした出世番号の「37」

突然舞い込んだビッグチャンスをつかみ、ジョアンパウロは憧れを目標に変え「プロサッカー選手」への道を一歩踏み出した。

 

 

「同い年の選手たちと高いレベルで切磋琢磨しあい、サッカー面はすごく充実して いました」

 

 

一方、生まれた頃から両親と祖父母と暮らし、家族が大好きなジョアンパウロにとって親元を離れての慣れない都会での生活は「すごく心細かった」と振り返る。

 

 

「小学生だったのでまだ父と母と一緒に寝ていましたし、夜みんなが寝て静かになる時間が本当に辛かった。一度家に帰りたいと、監督にお願いをしに行ったこともあります。でも、『今が耐えどき』と言われて、許してもらえませんでした(笑)。でも、そのぶん周りの友達よりも早く自立できて、一歩早く大人になれた。自分にとってはいい経験になったと思います」

 

 

寂しさに打ち勝ったジョアンパウロはステップアップを遂げ、2015シーズン、ついにプロ契約を勝ち取った。

 

 

新シーズンを前に手渡されたのは、サンパウロFC出身でパリ・サンジェルマン、トッテナム・ホットスパーで活躍したルーカスモウラも着けた、出世番号の「37」。

 

 

ジョアンパウロのこれまでの努力と、そのポテンシャルの高さを評価したクラブからの“プレゼント”だった。

 

 

トップチームでのデビュー戦となった第3節ジョインヴィレEC戦には、地元のチエテから両親をはじめたくさんの友人が駆けつけた。

 

 

「興奮しすぎて、自分がどんなプレーができたのかは正直わからない(笑)。だけど、あの時の感情は今でも鮮明に覚えています。人生のなかで忘れられない夜になりました」

 

 

生え抜き選手としてクラブの期待を一身に背負い、ジョアンパウロは夢に見たプロの世界へと飛び込んだ。

 

予想外の契約満了と負のループ

シーズン開幕からわずか3試合でブラジル1部のピッチに立ち、ルーキーイヤーは順調な滑り出しかと思えた。

 

 

ところが、ベテランFWのルイスファビアーノの存在は大きく、その後は出場機会に恵まれず。

 

 

2016シーズンから2年間はECバイーア、2018シーズンはクリシューマECとブラジル2部クラブへ期限付き移籍し、“武者修行”の日々を過ごした。

 

 

「バイーアでは優勝と1部への昇格も経験しましたし、クリシューマでは調子もよく、改めてサッカーができることの喜びを感じられました。若いうちに違う地域やチーム、いろんな感情のなかでプレーできたことは自分にとっていい経験になりました」

 

 

本人が「調子がよかった」と話すとおり、クリシューマでは骨折での離脱もありながら、リーグ戦31試合に出場。6得点を決め、結果を残した。

 

 

 

「ようやく、サンパウロで力を示す準備ができた」

 

 

 

そう意気込んでいたジョアンパウロだったが、クリシューマとの期限付き移籍が終了後、所属元のサンパウロから告げられたのは、まさかの「契約満了」。

 

 

失意のなか、セアラーSCへの完全移籍が決まるも思うような結果を残せず、その後は複数のクラブを転々とするシーズンが続いた。

 

 

さらにジョアンパウロを追い込んだのが、ベトナムへ初の海外移籍が決まったタイミングでの、新型コロナウイルス蔓延だった。

 

 

家族にも会えないこと、思うようにトレーニングができないこと、休日も外に出られないこと……。

 

 

さまざまなストレスを抱えきれなくなったジョアンパウロは1年でブラジルに戻り、人生で一番の谷を味わった。

 

 

「どこもチームが見つからず、州リーグのクラブに引き取ってもらいましたが、また怪我もしてしまって、もう何もしたくなかった。人生は常に選択の連続ですが、移籍のことを今まで自分が深く考えずに決めていたことへの後悔が、急に押し寄せてきて……。どうしたらいいのかわからなくなっていました」

 

どん底からの復活劇

もう、サッカーを辞めよう──。

 

 

 

次のクラブも決まらず、現役引退の意志を固めつつあったジョアンパウロ。

 

 

しかし、ポルトガルから届いた予想外のオファーが、彼を再びプロの世界へと引き戻した。

 

 

「まさか、このタイミングでオファーが来るとは思いませんでした。『ここでダメだったら、今度こそ引退しよう』と覚悟を決めて、もう一度チャレンジすることを決めました」

 

 

もともと、新しい環境にすぐに適応できるタイプではないというジョアンパウロは、オリヴェイレンセ加入後も、チームに馴染むまでには少し時間がかかった。

 

 

それでも、最後のチャンスを無駄にはしまいと必死にもがき、徐々にパフォーマンスを向上。

 

 

リーグ戦32試合に出場し、自身最多タイに並ぶ6ゴールを決めた。

 

 

ここまで這い上がってこれたのは、個人の努力だけではなく「監督やチームメイトと良い信頼関係を構築できた」からこそだと、ジョアンパウロは語る。

 

 

なかでも、自分のことを弟のように可愛がってくれた、日本のレジェンド「カズさん」(三浦知良)の存在は絶大な指針となった。

 

 

「オリヴェイレンセでの1年で、カズさんの存在は外せないですね。一番お世話になりましたし、日本に来てからも気にかけて連絡をしてくれます。もちろんカズさんだけではなく、コウタロウ(永田滉太朗)も、日本人のクラブスタッフもすごく優しくて、素敵な人たちばかりです」

 

 

選手としての自信を取り戻し、“完全復活”を叶えたジョアンパウロは、2度目のアジアへの挑戦を決断。

 

 

2024年6月、J1昇格を目標に掲げる横浜FCの一員となった。

 

自分ができることはなんでもしたい

選手登録や就労ビザの発行を終え、ジョアンパウロはJリーグデビュー戦で、早速1アシストをマーク。

 

 

第28節の徳島ヴォルティス戦では初得点を決め、ホームで華麗なバク宙を披露し、早々にファン・サポーターの心をがっちりとつかんでみせた。

 

 

 

「新しいチームで、ここまで早く適応できているのは初めて」

 

 

 

その理由として、怪我の心配や移籍への後悔もなく「久しぶりにサッカーだけに集中できていること」、そして「自分が必要とされていることを実感できていること」が大きいと話す。

 

 

「ユーリ(ララ)やカプリーニをはじめとしたブラジル人選手だけでなく、日本人の選手も自分のことを気にかけてくれて『やりたいようにプレーしてもらって大丈夫だよ』と言ってくれる。監督もクラブもチームメイト、みんなが必要としてくれているのを感じるからこそ、僕もその期待に応えたい」

 

 

目指すのは、このチームの一員として、来シーズンもうひとつ上のカテゴリーで戦うこと。

 

 

そのために自分ができることはなんでもしたいと、ジョアンパウロは決意を新たにする。

 

 

「もちろん、ゴールやアシストをたくさんしたいと思っています。でも、一番大事なのは横浜FCが昇格し、優勝すること。たとえ、このあと僕が点を取れずにシーズンが終わっても、最後に目標を達成できるのであれば、それに越したことはありません」

 

 

 

残る試合もあとわずか。

 

 

 

「ここからさらに横浜FCのサッカーに順応し、もっといいプレーをしたい」と意気込む。

 

 

「ここ数年は、故郷にもあまりいいニュースを届けられていません。オフシーズンにブラジルに帰ったとき、素敵な報告ができるように。精一杯がんばります」

 

 

 

積み上げてきたチームと、ジョアンパウロのパワーがぴたりと重なり合った時。

 

 

 

三ツ沢に、今シーズン一番の「笑顔」の渦を巻き起こす。

 

 

 

PROFILE

ジョアンパウロ/FW

1996年11月28日。179cm、73kg。7歳でサンパウロFCの育成組織のセレクションを受け、テスト生から正式メンバーに合格。2015シーズンに18歳でプロ契約を獲得し、第3節でトップリーグデビュー。翌年はECバイーア、2017シーズンはクリシューマECに期限付き移籍し実戦経験を積んだ。2018シーズンにサンパウロFCを離れ、完全移籍でセアラーSCに加入。以降はベトナムへの移籍も含め5クラブを渡り歩く。2023シーズン、ポルトガル2部のUDオリヴェイレンセで1年間プレーし、リーグ戦32試合出場で6ゴールをマーク。2024シーズン夏、横浜FCに完全移籍で加入した。