横浜FC

松井とはピッチ上で言葉はなくとも分かりあえる。

 

横浜FCトップチームコーチ

中村俊輔

取材・文=二宮寿朗

中村俊輔にとって松井大輔とは、そういう存在である。

 

 

日本代表としてともに戦った2人は2017年にジュビロ磐田で約半年間プレーし、そして2019年7月から1年半、横浜FCで再びチームメイトになっている。

 

 

「自分たちで次に何を起こしたいとか、逆に何が起こるとか予測ができるのがやっぱり松井だよね。だから一緒にプレーしていても別に言葉なんか要らない。それはやっぱりカズさんもそう。松井やカズさんの(プレーの)意図を分かっていたつもりだし、逆に自分の意図も分かっていたからやりやすかったね」

 

 

カズ、中村、松井の〝ビッグ3〟がJ1の舞台で初の共演となったのが2020年9月23日、アウェイでの川崎フロンターレ戦だった。

 

 

カズは53歳、中村は42歳、松井39歳。首位を走るフロンターレ相手に奮闘し、中村は1アシストをマークしている。

 

 

2-3で敗れたものの、3人のベテランによる大人のハーモニーは実に味わいがあった。

松井はやりやすい――。

 

 

その表現を繰り返した後で、中村はこう言葉を続けた。

 

 

「松井は本当に凄く気を遣ってくれる。もっと自由に、もっと自己チューでやってもらっていいのに……それが彼の人柄なんだろうね。若いころは誰でも自分のプレーを重視しがちだし、きっと松井だってそうだったんじゃないかな。でも年齢が上になるにつれて、人とつながってコンビネーションの面白さとかを覚えていったのかなっていうふうにも思う。ジュビロに移籍したとき、本当に助けられた。チームの状況を含めてあらゆることを教えてもらえたし、そのおかげもあってチームメイトとの距離も早く縮められたから。ポジション的にも本来なら競争相手なのに、プレーだけじゃなくていろいろとやりやすくしてくれた。横浜FCに来てからもそうだし、松井の人柄に尽きるっていうことじゃないかな」

 

出会いは2000年にさかのぼる。

 

 

中村がJリーグMVPを獲得するこのシーズン、松井は鹿児島実から京都サンガに加入して1年目から出場機会を得ていた。中村の目にも自然と留まっていた。

 

「いいドリブラーがいるなって。若手の有望株みたいな感じでメディアにも取り上げられていたし、確かプロに入って2年目でチームの10番をつけていたくらいだから。パスでゲームをつくる自分とは違う中盤もタイプだけど、そりゃあ注目はするでしょ(笑)」

 

その後中村はセリエAのレジーナで活躍し、松井もその後フランスに渡って「ル・マンの太陽」と呼ばれるようになる。両者は欧州を舞台に、その名を上げていくことになる。

 

 

松井に対する当時の印象はどうだったのか。

 

 

「意外性のあるドリブラーって感じかな。トリッキーだから相手も対応しづらい。当時の日本にはいないタイプだと思ったよ。フランスリーグは屈強で身体能力の高いアフリカ系の選手も多かったし、そこで揉まれて自分の武器を伸ばしていった印象があるよね。〝俺はこういうタイプ〟というのが明確で、自信もあったと思う。あのときの日本代表は組織の連係、連動で崩していくことを目指していたけど、松井は個で打開できる数少ないタイプ。だから南アフリカワールドカップでも大事な戦力になったんだと思う」

 

 

中村と松井にとって明暗を分ける形になったのが、2010年の南アフリカワールドカップであった。

 

 

中村はチームの主力を担いながらも、右足首のケガをきっかけにコンディションが上がらず、本大会直前になってレギュラーから外れることになった。

 

 

逆に先発に定着していったのが、松井であった。右のサイドハーフで躍動し、カメルーン代表とのグループステージ初戦において本田圭佑の決勝点をアシストしている。

中村はベンチで声を出し、水を運ぶなどサポート役を買って出ている。

 

 

松井に対しては「少しでも参考になれば」との思いで自分が見た相手の特徴や自分の考えなどを直接、伝えている。

 

 

これは、優勝した2004年のアジアカップ中国大会においてサブに回った年長者の藤田俊哉、三浦淳寛、松田直樹らの振る舞いを見て、学んだこと。

 

 

ベテランがチームのために働けば、チームは一つになる。サブの立場になった自分が、やるべきことは理解していた。ポジションが重なる松井には、人一倍の期待を寄せていた。

 

「松井にはマジで頑張ってほしいという思いがあった。今まであまり出場機会のなかった選手たちがチャンスをもらって、実際にチームのパワーは上がっていたから。自分自身はもちろん悔しかったけど、アジアカップで俊哉さん、アツさん、マツさんたちがやってくれたことを今度は自分がやらなきゃと思った。あの大会、やっぱり松井はチームの大きな力になったんじゃないかな」

 

松井に対する一番の思い出は?

 

 

そう尋ねると中村は迷うことなく南アフリカワールドカップのことを口にした。出られない悔しさを秘めながらも、躍動する松井を頼もしく見つめていた。

中村が2022年限りでの引退を発表した会見で、サプライズゲストとして花束を渡したのが松井だった。

 

 

顔を見合わせてお互い無防備にハハハと笑い合う、その空気感が2人の関係性をあらわしていた。

 

 

松井が引退することを決意した際には本人から報告を受け「お疲れさま」と返している。

 

 

引退後の松井は横浜FCのスクールコーチなど指導者のキャリアを始める一方、一般社団法人日本フットサルトップリーグの理事長に就任するなど、活動を多岐に広げている。

 

 

中村は「松井らしい」と語る。そしてこうエールを送る。

 

 

「松井は人間性が素晴らしいし、自分をうまくコーディネートできる人だから、思ったことをどんどんやってほしい。ただゴルフをやり過ぎているとも聞くので、腰だけは痛めないように(笑)」

 

 

緩く見せておいて実は強い信頼関係。中村俊輔にとって松井大輔はこれからも大切な同志であることに変わりはない。

 

松井大輔引退試合 特設サイト

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