横浜FC

「明治大学より遠藤雅己選手加入内定のお知らせ」

 

 

2023シーズン。設立25周年のメモリアルイヤーを迎えたクラブに、“エンマサ”が帰ってきた。

 

 

日本代表としても活躍した父・雅大のもと、自然と集まる周囲からの期待。紆余曲折しながらも立ちはだかる壁を乗り越え、やっとの思いでプロ入りの切符を掴んだ。

 

 

「いつの日か、横浜FCが“名門”と呼ばれるチームになれるように」

 

 

若きゴールキーパーが、横浜FC初代キャプテンを務めた父からバトンを受け継ぎ、クラブの歴史を紡いでいく。

 

 

 

「横浜FCといえば遠藤」になるために

遠藤 雅己 GK 40

取材・文=北健一郎、青木ひかる

 

「野菜は嫌い」「走るのは苦手」

2001年3月1日。父がベルギーリーグ1年目のシーズン終盤戦を戦う最中、念願の第一子として、雅己は生まれた。

 

 

 

「お父さん、サッカー選手なんでしょ!」「日本代表だったんだよね?」

 

 

物心がついた頃から、いつもそんな言葉をかけられて育ち、幼稚園の送り迎えの時に、周りの保護者や先生が驚いた顔で自分の父の顔を見るのは、日常茶飯事。

 

 

2002年に現役を引退した父は東京で「遠藤雅大インドアサッカー塾」を開講し、気づけば自分もスクールが行われるグラウンドに通い、“ボール遊び”を始めていたという。

 

 

「サッカーボールを触っていないのが違和感というぐらいの生活で、もう記憶にない頃からグラウンドに一緒に行っていました。でも、試合中に砂いじりをするような子供で、いまだに両親からは当時のことをいじられます。とにかく走るのが嫌いで、中盤で突っ立ってパスを出すか、前線で体を張ってるかなので、ちゃんと『サッカーを始めた』と言えるのは小学4年生くらいからだと思います」

 

 

今でこそ、アスリート体型の遠藤だが、幼少期は野菜嫌いの“ぽっちゃり体型”で、走ることは大の苦手。少し体重を落とすために水泳も始め、英会話スクールにも通う日々を送っていた。

 

 

「小さい頃は本当に好きなものを食べて、好きに生活させてもらいました。けど、中学校入学前に体を絞ろうと思った時、本気でやりたいのはなんだろう?とじっくり自己分析をしたんです。そこで初めて『サッカーが好きなんだ』というのを自覚して、続けることを決めました。中学に入ってからは父と家でサッカーの話をする時間も増えましたね」

 

 

「やらないという選択肢がない」と思いながらプレーしていた自分を見つめ直し、芽生えた競技への熱い想い。

 

 

自発的に父の教えを請うようになり、遠藤は本当の意味で、サッカーキャリアのスタートを切った。

 

ふたつの出会いと転機

あっという間に丸2年の月日が過ぎ、遠藤は恵まれた体格とキック力を武器にフォワードとして出場経験を重ねていたものの、“点取り屋”と言われるには今ひとつインパクトを残せず。

 

 

中学3年の春を迎え、周りの仲間は徐々に進路先が決まるなか、自分に声をかけてくれるチームはゼロ。小さな焦りは大きな不安に変わり、頭を抱える日々が続いた。

 

 

そんな時、父が“恩師”と慕うある人物からの予想外の一言が、遠藤の未来を切り開く。

 

 

「1956年メルボルン五輪で活躍した三村恪一さんは、父にサッカーを教えた大先輩なんですが、家に来て話をしたときに『GKのほうがいいんじゃないか』と言われて。全く考えもしない発想でしたけど、キックには確かに自信があったので、思い切って転向を決めました。ほぼ未経験だし大丈夫か?と最初は思いましたけど、GKスクールに通い始めたらハマってしまって。すんなり推薦も決まったのは自分でも驚きましたね」

 

 

フォワードからコンバートしてわずか3カ月の遠藤に「春からうちのチームでチャレンジしてみるか」と声をかけたのは、桐蔭学園高校の監督復帰が決まっていた、名将・李国秀氏。目の前に舞い込んだまたとないチャンスを掴み、遠藤は進学を決意した。

 

 

「李さんは15年ぶりに監督に就任したんですけど、桐蔭のポゼッションサッカーのスタイルを作り、黄金期を築き上げた方だというのはもちろん知っていました。やはりパスへのこだわりは強かったし、試合中に『勝たなくていいから、繋げ』と言われたのは衝撃でした。ゴールキックもロングボールは禁止で、必ず横パスでスタートするんです。困惑はしましたけど、おかげでビルドアップはひとつの武器にもなりました。間違いなく、僕がプロになるためのひとつのポイントになったと思います」

 

 

高校1年の夏には国体のメンバーにも選出された遠藤は、チームでの厳しいポジション争いに食らいつき、少しずつ実力と自信を身につけ、3年間を過ごした。

 

背中を押した、友人の言葉

幼少期からサッカーは“生活の一部”。そんな遠藤が、「こういう選手になりたい」と衝撃を受けたのは、2つ上の先輩である早川友基(鹿島アントラーズ)だ。

 

 

「レベルが違いましたね、1人だけ。なんでこんなシュートを止められて、正確なボールを蹴れるんだ、と。卒業した後は明治大学に進学したので、あの人みたいになるなら俺も明治に行こうとずっと決めていました」

 

 

国体の出場経験でセレクションの条件を満たすことができた遠藤は見事合格を勝ち取り、強豪校の門戸を叩いた。

 

 

しかし、想像をはるかに超える環境が、遠藤を待ち受けていた。

 

 

「強度も技術も高いのは当たり前だし、早川くんも先発から外れるなんて、僕からしたら信じられなかった。あとは16人一部屋の寮生活もしんどかったですね。昨シーズン、一緒に横浜FCに加入した林幸多郎(町田ゼルビア)も同部屋で、先輩の邪魔にならないようにLINEでずっと会話をしていました。そのうち『住めば都』になりましたけど、最初の3日ぐらいは夜、ベッドで泣いてました(笑)」

 

 

厳しいポジション争いを経て、遠藤が関東1部リーグでデビューしたのは、3年生の4月に行われた筑波大学戦。そこから5試合連続でピッチに立ち、4勝1分と好成績を残した。

 

 

ところが、6月に全日本選抜に選出されチームを離れて以降、次にリーグ戦に出場するのは4年生の6月と、丸1年期間が空くことになる。

 

 

「『このままプロになるんだろうな』と少し安心してしまった気持ちを見透かされました。選抜チームから帰ってきて『天狗になるやつは、明治のGKにふさわしくない』と栗田(大輔)監督からの信頼を失ってしまいました」

 

 

心を入れ替え真摯に練習に励んだものの、先発はおろか、サブメンバーからも外れる日々が続いた。

 

 

「精神的にもどんどん追い詰められてしまって。4年生の開幕をスタンドで迎えることになった時は、両親に頭を下げて、サッカーは大学でやりきって就職するという話をしました。このままだと、本当にサッカーを嫌いになってしまいそうで……。父と母の『正解なんてないし、お前が選んだ道ならそれでいい』という言葉にすごく救われましたね」

 

 

最後に全力を出し切って、いい形で締めくくろう──。

 

 

 

横浜FCから練習参加の誘いが届いたのは、そう決意を固めた直後のこと。

 

 

「5月に練習試合があったんですが、45分しか出ていなかったのでとても驚きました。でも、辞めようという気持ちでいた僕に参加する資格があるのかという想いもあって……。就活も第一志望で内定をもらっていたし、決断するのは簡単ではなかったです」

 

 

自信を失いかけていた遠藤の背中を押したのは、中学時代からの友人の心強い言葉だった。

 

 

「なりたくてもなれないやつがいくらでもいるんだから、今やれることをやれよって。就職なんていつでもできるし、お前が失敗したら俺が助けてやるからと。すごく勇気をもらって、覚悟を決めました。その言葉がなかったら僕は選手になっていなかったと思うので、友人には感謝してもしきれません」

 

 

正式にオファーを受けた遠藤は、奇しくも父の古巣クラブでプロキャリアをスタートさせた。

 

 

クラブの価値を上げるGKに

迎えたルーキーイヤー。これまでのサッカー人生も順風満帆とはいかなかったように、「難しい1年目だった」と遠藤は振り返る。

 

 

「5月に水戸ホーリーホックに期限付き移籍を決めて、合流してすぐ試合に出るつもりで臨みましたけど、ベンチに入ることが精一杯。その後怪我をしてしまった時は、かなり落ち込みましたね。でも、細川淳矢さん(水戸ホーリーホッククラブリレーションコーディネーター)に喝を入れられて。『怪我も経験と、チャンスのひとつ。自分が置かれた環境で何ができるかを探すことがプロなんだ』と教えてもらいました」

 

 

もうひとつ、横浜FCに復帰して数日後に交わしたGK永井堅梧との会話が、遠藤の意識を大きく変えるきっかけとなったという。

 

 

「堅梧くんに自主練習に誘われて、メニューもすごくきつくて、ついていくのがやっとだったんですけど、ロッカーに引き上げた時に『本当に、ポジションの重みや特性をわかってプレーできているか?』と聞かれたんです。『俺らのひとつのプレーは、家族だけじゃなくて職場の人や事業部の人の生活を背負っている。お前の今のプレーは、明日試合にポンっと出て、全員の人生を背負えるのか?』と。まだまだ自分は覚悟と努力が足りないなと、気付かされました」

 

 

2クラブの先輩たちからの助言を受け止め、一回り大人になった遠藤は、今季の目標に「公式戦デビュー」を掲げながらも「冷静さや謙虚さも大事にする2年目にしたい」と話す。

 

 

「去年のスタートは『やってやるぞ』とやる気と自信に満ち溢れていました。それも大事なことだけど、空回りしたり、過信に変わったら意味がない。いつでも出れる準備をしていれば、いつかチャンスは来るはずです。でも、できれば誰かの代役とかではなく、自分で出場機会を掴みたいですね。それと……」

 

 

 

1時間半に及ぶインタビューの締めくくりに語ったのは、自分を拾ってくれたクラブへの想い。

 

 

 

「今度こそJ1定着を目指すためにも、今シーズンは横浜FCの価値を上げる1年にできたらいいなって。昨シーズンの最終節、降格が決まったチームをファン・サポーターが声援で迎えてくれたのは、きっと同じ気持ちでいてくれたからじゃないかなと思っています。まだ僕にできることは少ないですけど、ピッチ内外でこのクラブに貢献していきたいです」

 

 

溢れるクラブ愛を胸に、焦らず今できることをひとつひとつ。

 

 

「横浜FCといえば遠藤」と言われる選手になるための道のりは、まだ始まったばかりだ。

 

 

PROFILE

遠藤雅己(えんどう・まさき)/GK

東京都出身。2001年3月1日生まれ。188cm、84kg。元サッカー日本代表で横浜FC初代キャプテンを務めた遠藤雅大の長男。2003年に現役を引退した父が開講したサッカースクールでプレーし、中学3年生でFPからGKに転向したことで、その才能が開花。中学卒業後は桐蔭学園高校に進むと、1年生で国体選手に選出され4位の成績を収め、明治大学に進学。手足の長さを生かしたセービングと、高校時代に培ったビルドアップでゲームを構築するプレーが評価され、大学4年の夏に横浜FCへの内定を掴み取った。ほとばしる熱い情熱とピッチに響くコーチングで、ゴール前からチームの士気を引き上げる。

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