今シーズン、チーム最多タイの5ゴールを決め横浜FCの攻撃をけん引する、背番号10・カプリーニ。
「もっともっと、自分のゴールで、みんなと喜びをわかち合いたい」
左利きのアタッカーは歓喜の瞬間をイメージし、今日もまた貪欲に結果を追い求める。
大胆不敵なハマのNo.10
カプリーニ FW 10
取材・文=北健一郎、青木ひかる
1997年11月11日。少し肌寒くなる日本とは真逆に、初夏に差し掛かるブラジルのリオグランデ・ド・スル州で、カプリーニは生まれた。
出身地であるカシアス・ド・スルは州のなかで2番目に大きな都市で、住宅地とビル、繁華街がそろう、横浜によく似た街だという。
少し厳しい母と「性格は母似で、顔は自分にそっくり」な8つ違いの兄、そして、メキシコ1部リーグでプロサッカー選手としてプレーする父のもと、メキシコとブラジルのふたつの拠点で、幼少期を過ごした。
「父はずっとセンターフォワードで、横浜FCで例えるなら、そこまで背が高くない(櫻川)ソロモンという感じですかね。もちろん父の影響もありますけど、背中を追いかけてというよりも、自分が単純にサッカーをすることが大好きでした。小さい頃から一緒に練習場にも行っていましたし、家には30個以上サッカーボールがあって、もうサッカーがない生活が考えられないような家でした」
7歳になり、地元のクラブチームであるECジュベントゥージの育成組織に加入したカプリーニは、12歳までフットサルとサッカーの両方をプレーし、ボールの扱い方の基礎やフットボールの楽しさを学んだ。
成長の早い同級生に比べれば小柄だったものの、U-15、U-18と順調にステップアップしていった。
「フットサルはコートも狭いしボールの大きさも小さいので、足元の技術はそこで磨かれたかなと思います。当時はポジションが左でしたけど、プレースタイルは今とあまり変わらないですね。育成年代のころは特に、GKの頭の上を狙ったパワーのあるシュートをずっと練習してきました。その努力を周りからも評価してもらえて、上にあがれたなと思っています」
ユースで主力選手として活躍したカプリーニは、2016年に17歳でトップチームに昇格。生え抜き選手として地元クラブでデビューを叶え、リーグ戦初出場でいきなりゴールを決め、華々しくプロキャリアをスタートした。
プロ選手の父を持ち、“エリート”として育ったカプリーニ。
ルーキーイヤーもリーグ戦10試合に出場し、ECジュベントゥージは7シーズンぶりにブラジル2部に昇格を果たした。
翌シーズンは開幕から10戦負けなしと躍進し、個人としてもチームとしても充実した2シーズンを過ごした。
ところが、2018シーズンは苦戦を強いられ、途中で監督が交代に。活躍の場を求めカプリーニはアトレチコ・パラナエンセのU-23チームに移籍し心機一転を図るも、サッカー人生で初めて手術を伴う怪我を負い、戦線から離れる時期が続いた。
「大きな怪我をしたのは初めてでしたけど、昔からポジティブに考える性格だったのでそこまで重く考えずに、今何ができるのか、どうしたら早くプレーができるようになるかにフォーカスしていました。悲しいとか辛いという感覚ではなく、より強くなろうという気持ちでしたね」
その後は、リハビリと再手術を経て、複数クラブを渡り歩くも、本来の調子を取り戻せない日々が続いた。
ジレンマを抱えながら、それでも真摯に、目の前のことを取り組み続けた。
そして、プロ6年目の2021シーズン。
これまで期限付き移籍で拠点を転々としてきたカプリーニは、生まれ育ったクラブを離れロンドリーナECへの完全移籍を決断。
この選択が功を奏し、加入2年目の2022シーズンには2部リーグで自身最多の6ゴールを決めた。
「サッカー選手をしていれば、個人としていいシーズンもあれば悪いシーズンもあるし、チームがいい状態の時もあれば悪いシーズンの時もある。ロンドリーナ在籍時は、自分のコンディションのいい波とチーム全体のいい波が重なって、選手同士の信頼関係もしっかりと築くことができました。自分にとってはすごく実りのある2シーズンになりました」
アグレッシブなプレースタイルとは裏腹に、焦ることなく、コツコツと重ねた努力が、ついに花開いた瞬間だった。
カップ戦も含めて合計10得点を奪ったカプリーニ。
主力選手となった彼のもとに届いたのは、地球の裏側に位置する日本からのオファーだった。
どんな困難な状況でも前向きな気持ちで乗り越えてきたカプリーニだったが、日本に行くまでは「不安でいっぱいだった」と振り返る。
「知らない国ですし、季節は反対で、言語や文化も大きく違う。すべてが真逆という印象だったので……。正直、オファーを受けるかどうか、かなり悩みました」
それでも生まれ育った母国を飛び出し、自らの可能性を広げるべく新たな一歩を踏み出した。
そんなカプリーニの拠り所となったのは、ユーリララやガブリエウをはじめとした、ブラジル人選手たち。
「ブラジルで同じチームでプレーした経験はないですけど、特にユーリは来日する前の年のリーグ戦で、お互い昇格を目指すライバルとして対戦していました。ユーリのいたヴァスコ・ダ・ガマのホームに乗り込んでゴールを決めたのは、いい思い出です。この話をするとユーリはすごく悔しがるんですけど(笑)。ロンドリーナは小さいクラブでしたけど、ヴァスコ・ダ・ガマはビッククラブのひとつで、ユーリはそこの中心選手だったので、こうして日本でチームメートになれて、とても心強いです」
昨日の敵は今日の友。
地球の裏側で再会を果たした同郷は、カプリーニにとって欠かせない存在となっている。
徐々に日本での生活に馴染んだカプリーニだが、2023シーズンのリーグ前半戦途中での負傷離脱の間にチームは4バックから3バックへとフォーメーションを変更。
復帰後には“堅守速攻”のスタイルへの順応に追われ、フィットには想定以上に時間がかかった。
コンディションが上がりチームの戦いにも慣れ、待望の日本初ゴールを決めたのは、残留争いも佳境に入った第32節のアウェイ・サガン鳥栖戦。ホッとした想いとともに、「まだまだやれたのに」という気持ちも高まった。
自分も、このチームもここで終わるわけにはいかない──。
第33節のホーム・湘南ベルマーレ戦に敗れたことで、横浜FCは実質、J2降格が濃厚になった。
それでも、最終節の鹿島アントラーズ戦ではプロとしての意地を見せ、63分、左足で渾身のシュートを決めて見せた。
「これまで昇格争いも降格争いも経験してきましたが、本当にカテゴリーを落としてしまうのはこれが初めてでした。日本サッカーの環境、Jリーグのレベル、降格する悔しさ……。2023シーズンは自分にとって、新しい学びと経験を得られたシーズンになりました」
加入2年目の今シーズン、カプリーニは1年目の悔しさを晴らすかのように、開幕から気持ちのこもったプレーを見せている。
第3節のモンテディオ山形戦でホーム初ゴールをマークすると、リーグ前半戦を終え、すでに5得点を挙げた。
「昇格を目指すことは簡単なことではないし、できることなら降格はもちろん避けたかった。でも個人としては、昨シーズンの苦しみや悔しさがあったからこそ、今の自分があると思っています」
この1年での目標は、背番号にちなんで「10得点」を決めること。ただそれ以上に数字を伸ばすことができるはずだとカプリーニは自信をのぞかせる。
「もちろんたくさんのゴールを生み出すことが僕の役割だし、その技術や力を持っていることは、たぶん伝わっているはず。でも、それを常に100パーセント発揮しなければ意味がありません。今シーズンはそういった、『戦う姿勢』を最終節まで見せ続けたいと思っているので、ぜひ熱い声援をよろしくお願いします」
J1昇格に向け走り出したハマのNo.10の勢いは、誰にも止められない。
ブラジル出身。1997年11月11日。167cm、66kg。メキシコリーグで8年間プレーした父のもと幼い頃からサッカーに親しみ、7歳で地元クラブのECジュベントゥージの育成組織に加入。U-15、U-18と順調にステップアップし、2016シーズンに17歳でブラジル3部リーグでプロデビューを叶えた。2018シーズン以降は、期限付き移籍で合計4クラブをわたり歩き、2021シーズンにロンドリーナECに完全移籍。翌シーズンにはカップ戦も含め10ゴールを決め、2023シーズンに横浜FCに加入した。チーム随一の推進力と、力強い左足のキックを武器に、背番号10としてゴール量産に意欲を燃やす。